「自分とかないから。教養としての東洋哲学」この本のタイトルを聞いた時に、ああー、そうか、
自分探しの旅をしていったら、自分はなかったというオチね。と勝手に本の中身を想像しました。
面白そうじゃない!!!
早速、読み始めたら、想像以上に面白くって一気に読み進めてしまいました。
もう、ワクワクが止まりません!
仕事が~、夕飯の支度が~、もう夜中だし~、色んな制約が私を邪魔してきますが、かいくぐって
読み進めました。
自分探しをしているあなたに出会って頂きたい1冊です。
まさかの答えが・・・・ありました。
「教養としての東洋哲学」この本は「哲学エッセイ」です
この本は、しんめいP(著者)さんが、東洋哲学をこう受け取ったという視点で書かれているので、
東洋哲学を理解しようとかではなく、また、こうであるという断定で話されてもいないので、気楽にすんなり読むことができました。
私は、こうであると断定されることに、とても違和感を感じます。
疑い深い性格なので「本当にそう?」と思ってしまいます。
なので、ほんとに純粋に面白かった。
虚無!
32歳。無職になり、離婚して、実家のふとんに一生入っている。
ここから始まるんですもの、「なに、なに」って前のめりになるじゃないですか。
「なんか、めちゃくちゃ虚しい」
なんて気持ち、絶対誰しも感じたことがありますよね。
その後、ふとんに入ったきりになるかは別としても。
私は、著者が、「虚無感」から回復するために、東洋哲学をどう活用したのか、という視点で読みました。
東洋哲学は、とにかく楽になるための哲学
インド哲学のメインテーマは、「本当の自分ってなんだろう」なんですって。
いや、今まさに私も直面しています。ビジネスで大事なのは、自分を知ることって、色んな人が言っていますから。
西洋の哲学者が「生き方」にあまり興味がない人が多いのに対して、東洋哲学のいいところは基本的に、「どう生きればいいか」がテーマなこと。そして「答え」があること。なんだそうです。めっちゃ、知りたくないですか?私は「知りたーい」と思いました。
今まで67年間、こうでなければ、こうあるべき、に縛られて生きてきた身としては、「東洋哲学は、とにかく楽になるための哲学なのだ」この一説はとても刺さりました。
そうだ、わたしも楽に楽しく生きるんだ!!!
じゃ、どうしたらいい。その答えが書いてあるのね、という期待感マックスで読んだんです。
7人の哲学を知る
内容は、本編を読んでいただくとして、目次だけ掲載しておきます。
- 1章 無我 自分なんてない ブッダの哲学
- 2章 空 この世はフィクション 龍樹の哲学
- 3章 道 ありのままが最強 老子と荘子の哲学
- 4章 禅 言葉はいらねえ 達磨の哲学
- 5章 他力 ダメなやつほど救われる 親鸞の哲学
- 6章 密教 欲があってもよし 空海の哲学
とにかくたとえ話が分かりやすいし、面白い、自分全開なんです。
あ、自分とか、ないんですけどね。
すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとするから、苦しいんだ。
という一節に、こんな私は、あんな私でもいいし、そんな私でもいいんだ。と、思ったら、こうあるべきなんて、何もないよなあ。と、思っちゃいました。
自分を全部出したら、自分は無くなって、新しい自分ができるんですかね。
まとめ
哲学と聞くと、メチャメチャ難しいと感じますよね。でも、この本はまず読み物として面白い。だから、面白い本だと思って読んでほしいです。私のように、東洋哲学にちょっとだけ興味があるという人も、そうなの、それってそういうことなのと、分かりやすく理解(レベルは置いといて)できて楽しいです。
私は、50歳までは、目に見えるものしか信用しません。データやエビデンスが示されたものしか信用しません。というタイプだったんです。でも、50歳を過ぎて、子育て、介護が一段落して、ちょっと心の余裕が出来たんだと思います。電車の窓から見える青空を「ああ、きれいだな」と感じる瞬間があって、それを感じている自分がなぜか愛おしく思えたんです。で、この本を読んでその時と繋がったんですね。自分の目に見えているものだけが世界のすべてではないのだと思います。
5章・6章の、ダメでもいい、欲があってもいいは、すべてを肯定して、まさにそのまま生きてていいよと言われたようでした。筆者も東洋哲学に出会えてよかったと書いていますが、私もこの本に出会えてよかったです。